2008/02/17

長居できてご飯が美味しい

帰国したときに無くなってたら困るお店、
第二弾はrojicafe。

2階建ての古い民家をカフェにしていて、
平和な雰囲気が何よりも心地がいい。
長居してもいやな顔をされないし;-)

そして、何よりお惣菜盛りが美味しい!
日にもよりますが、カラダに優しい野菜に、
少し大人の味付けが最高(苦味をきかせたり)。

本を読みながら、ぼぅっと過ごしてると
何だか贅沢な時間の使い方してるなと思えてくる、
そんなカフェです。

rojicafe 板橋区弥生町68-1 03-3956-2254

本当に美味しい日本茶

あと半年で日本を去ります。

ということで、
今までは自分のものだけにしたくて
内緒にしてたお店なりなんなりを
少しずつ紹介していきたいと思います。

選択基準は、
帰国したときに無くなってたら本当に困るかどうか。
無くならないように皆さんサポートしてあげて下さいmm


第一弾は、銀座 佐人。

ここの日本茶は、ペットボトルや普通の茶葉によって
暗黙のうちに形作られた日本茶・緑茶の固定概念を
完全に覆してくれます。つか、もう、チョー美味しい。

特に一煎目はどの銘柄も衝撃的な旨さ、コク、深み、香り。
4~5煎まで飲めて1000円ちょいは安い。

「留学先で日本茶を伝道するぞ!」と決意させた奥の深さ。
ご主人・奥様、店の雰囲気も素敵。
皆様も是非。

佐人 銀座6-11-14 03-5537-1245

本能の喪

今回の帰省は会社から2日間の
特別休暇をもらって行きました。

就業規則では祖父母の場合は3日間、
配偶者では5日間とありました。

果たして、これは長いのか、短いのか。


以前、論語のある言葉に衝撃を受けたことがあります。

ある弟子が孔子に
「3年の喪は長すぎる、1年で十分じゃないか」
と言ったときのこと。
***
子どもは生まれると三年たってやっと父母の懐から離れる。
~中略~
予にしても、その父母から三年の愛を受けたであろうに。
***

頭を殴られるような説得力でした。
理屈が通ってるわけではないけど。

実践できるのかと自問すれば
その間に失いそうなことばかりに目が行ってしまいます。
収入にしろ、キャリアにしろ。頭でっかち。

しかし、一見寄り道に見える事柄を排して、
最短距離で走った先に、一体何があるのでしょう。

もしかしたら、
寄り道の先が答えだったりするのかも知れません。

生き進んでいくうちに、
守るべきものは増えていってしまいそう。

そんな中でも、大きな分かれ道が現れたときに、
本能に従える勇気が欲しいですね。

2008/02/16

お葬式が終わった

余裕を持って行ったはずが、
それでも告別式の日は丸1日がかり。

お焼香したり、読経を聞いたり、お骨を拾ったり。

色々なエピソードにおじいちゃんらしさを感じて、
悲しい中に不思議と心の温まる1日でした。


さすがに夜には親族も疲れて、
仏壇に収まったおじいちゃんに
「(お経も)もう聞き飽きたやろ」って。


宗教を責めるわけではないけど、
各種の儀式は既に型が決まっていて。

元の純粋な意味合いや気持ちを
段々離れて、形式だけが残っていくようです。

それが故人と真剣に向き合うことを
邪魔しているようなときもあって
少しだけ煩わしいと思いました。


どんな偉いお坊さんの供養よりも、
心から悼んでくれる友人の方が
おじいちゃんも遥かにうれしいことでしょう。


ふと座りながら、高村光太郎も似たような
詩を読んでいたなぁと思い出しました。

***
荒涼たる帰宅

あんなに帰りたがつてゐた自分の内へ
智恵子は死んでかへつて来た。
十月の深夜のがらんどうなアトリエの
小さな隅の埃を払つてきれいに浄め、
私は智恵子をそつと置く。
この一個の動かない人體の前に
私はいつまでも立ちつくす。
人は屏風をさかさにする。
人は燭をともし香をたく。
人は智恵子に化粧する。
さうして事がひとりでに運ぶ。
夜が明けたり日がくれたりして
そこら中がにぎやかになり、
家の中は花にうづまり、
何処かの葬式のやうになり、
いつのまにか智恵子が居なくなる。
私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。
外は名月といふ月夜らしい。
***

ちなみに、おじいちゃんは生前、葬儀の音楽には
「カルメンはさすがに明るすぎるので、
 くるみ割り人形を」と言っていたらしい笑

ほんとうに面白い人です。

2008/02/14

sense and sensitivity

人はなぜか、自分や身内の人、身近な人に限って、
「そう急には死なないだろう」と思っていのかも知れません。

事件や事故、急病・急変はいつも対岸の火事であるかのようで。

ただ、確率的にそんなことが起き続けるわけは無く、
運命は平等に何らかのイベントを振りまいていきます。


あと何年かは元気に生きるだろうと思っていた祖父が
先日急に亡くなりました。

根拠の無い楽観的観測から再会を先延ばしし続けた
自分の愚かさが身にしみます。

日常の流れに身を任せてしまって、鈍りきってしまった本能には
“虫の知らせ”を感じ取る鋭敏さも残っていませんでした。


予定があるから、と、葬儀後すぐに帰京する計画を立てたのですが、
その考え自体が今まで自分の感覚を鈍らせて来たのではないかと気付きました。

出ねばならない(と思い込んでいただけ?の)セミナーはキャンセルして、
延泊をすることにしました。

たった1泊の延長ですが、詫びつつ少し寄り添うような気持ちで。
このちょっとした余裕が凝り固まった心を解きほぐしてくれますように。