外出先で傘立てにビニール傘をいれるとき、
この傘はもう帰ってこないものと、
ほんの少しの覚悟を決めます。
今日は雨の中、2軒食べ歩き。
案の定、どちらのお店も
僕と全く同じビニール傘が
既に数本立てかけてあって。
店を出るだろう数時間後の、
やや暗いかもしれない未来に
落胆させられます。
でも、1軒目も、2軒目も、
僕の傘は僕が置いたところと全く同じ場所に、
そのままきちんと収まっていました。
置いてから何時間も経っていて、
その間に多くの人が似たような傘を持って
入れ替わったでしょうに。
そんな中、誰も間違えずに、
誰も盗まずにいてくれました。
それだけで何だか少し嬉しくなって、
まだ小雨の降っている夜の空に、
晴れ晴れとした気持ちでビニール傘をさしました。
2008/05/29
予防接種 第二弾
2回目の予防接種を受けに行きました。
前回の検査の結果から
おたふく風邪の抗体がない事が分かったので
おたふく風邪も追加です。
今日は
・B型肝炎 2回目/3回
・髄膜炎 1回目/1回
・おたふく風邪 1回目/2回
の3本、12,000円。
ということで、B型肝炎とおたふく風邪は
日本滞在中に終わりきらないことになってしまいました。
渡米後すぐにワクチンを注射しなきゃです、
でも、どこで打ってくれるんでしょう。。。
これから目指される方は
最低でも渡米日の2ヶ月前、
余裕を持って3-4ヶ月前から
ワクチン接種を始めておくをお勧めします。
前回の検査の結果から
おたふく風邪の抗体がない事が分かったので
おたふく風邪も追加です。
今日は
・B型肝炎 2回目/3回
・髄膜炎 1回目/1回
・おたふく風邪 1回目/2回
の3本、12,000円。
ということで、B型肝炎とおたふく風邪は
日本滞在中に終わりきらないことになってしまいました。
渡米後すぐにワクチンを注射しなきゃです、
でも、どこで打ってくれるんでしょう。。。
これから目指される方は
最低でも渡米日の2ヶ月前、
余裕を持って3-4ヶ月前から
ワクチン接種を始めておくをお勧めします。
2008/05/23
ビザ面接、無事終了
朝一番に赤坂の米国大使館に行き、
ビザの面接をしてきました。
久しぶりの朝の都心。
ここ1-2ヶ月の、自分でも気付かなかった変化を
いつもの東京の朝ははっきりと認識させてくれます。
歩くスピードは格段に遅くなっていて、
電車から溢れる人の洪水には
リアルに眩暈を起こしそうです。
すっかり免疫も落ちたものです。
ビジネス戦闘能力も、2くらいですね、100分の。
さて、本題のビザ面接。
プロセスは
1. セキュリティチェック
2. 書類不備チェック
3. 指紋登録
4. 面接
といった流れで、トータル1時間くらい。
面接ということなのできれい目の服装で行きましたが、
実際はカウンター越しで会話するだけなので
上半身さえ服を着ていれば
下は海パンでも受かるのではないでしょうか。
ちなみに、自分の前に並んでいた人は
-面接官「トータル何年アメリカに?(英語諦め、片言日本語)」
-男 「うーん、ビザ無い期間も入れて、10年位かな」
って。
こんなところで不法滞在的な過去をほのめかして、
即ビザ保留の模様です。
10年いて英語が全然喋れないのも怪しすぎですが、
すべてを包み隠さないフェアプレー精神は特筆ものです。
さて、自分は
・Where do you go? -Boston.
・How long? -Two years.
・What do you study? -Health Policy.
であっけなくフィニッシュ。
Healthの発音が一発で通じなかったらしく
“What??”みたいな表情。
失禁しそうになりました、なんて。
まぁ、なんだかんだ無事承認です。
あとはビザが郵送されてくるのを待つのみです。
ところで、偶然、
同じ時間帯に「たけみ敬三」氏も居合わせました。
ボストンにゆかりのある人なので
話しかけようかと思いましたが、面接の高揚感からか
終わった瞬間に出口を出てしまい、作戦は敢え無く失敗です。
また、いつか会えるでしょう。
家に向かう帰り道、ダンボールを買って帰りました。
いよいよ荷造り開始です。
ビザの面接をしてきました。
久しぶりの朝の都心。
ここ1-2ヶ月の、自分でも気付かなかった変化を
いつもの東京の朝ははっきりと認識させてくれます。
歩くスピードは格段に遅くなっていて、
電車から溢れる人の洪水には
リアルに眩暈を起こしそうです。
すっかり免疫も落ちたものです。
ビジネス戦闘能力も、2くらいですね、100分の。
さて、本題のビザ面接。
プロセスは
1. セキュリティチェック
2. 書類不備チェック
3. 指紋登録
4. 面接
といった流れで、トータル1時間くらい。
面接ということなのできれい目の服装で行きましたが、
実際はカウンター越しで会話するだけなので
上半身さえ服を着ていれば
下は海パンでも受かるのではないでしょうか。
ちなみに、自分の前に並んでいた人は
-面接官「トータル何年アメリカに?(英語諦め、片言日本語)」
-男 「うーん、ビザ無い期間も入れて、10年位かな」
って。
こんなところで不法滞在的な過去をほのめかして、
即ビザ保留の模様です。
10年いて英語が全然喋れないのも怪しすぎですが、
すべてを包み隠さないフェアプレー精神は特筆ものです。
さて、自分は
・Where do you go? -Boston.
・How long? -Two years.
・What do you study? -Health Policy.
であっけなくフィニッシュ。
Healthの発音が一発で通じなかったらしく
“What??”みたいな表情。
失禁しそうになりました、なんて。
まぁ、なんだかんだ無事承認です。
あとはビザが郵送されてくるのを待つのみです。
ところで、偶然、
同じ時間帯に「たけみ敬三」氏も居合わせました。
ボストンにゆかりのある人なので
話しかけようかと思いましたが、面接の高揚感からか
終わった瞬間に出口を出てしまい、作戦は敢え無く失敗です。
また、いつか会えるでしょう。
家に向かう帰り道、ダンボールを買って帰りました。
いよいよ荷造り開始です。
2008/05/13
先生への挨拶回り
渡米を前にして高校と大学の先生に挨拶に行きました。
高校は久しぶりの訪問、というか、きちんと
正門をくぐったのは卒業以来かもしれません。
着いたときには、アルバムのための撮影か何かで
学生がひな壇に並んで、はしゃいでいるところ。
自分も昔、あのひな壇に並んでいたなぁ、
となんだか懐かしく、温かい気持ちにさせられます。
アポなしで行ったので、ちょうど授業前の慌しい時間に
あたったようです。
これから授業に向かう先生と、2-3分の会話。
このぐらいでも、背中を押してもらうには十分なんですね。
「なんならついでに生徒に話してよ」ということで、
初対面の高校生相手に緊張しながら、お話を。
まぁ要は頑張ってください、
みたいな内容を言ったはいいのですが、
今思えば、すっかり名乗り忘れていました。
何年社会人やったんだか。
大学の先生は進学先の卒業生でもあるので、
アメリカや大学での処世術、キャリアパスについて
本当にためになるお話をいただきました。
備忘録的にまとめておきます。
僕以外の人にも役に立つかも知れません。
<衣食住>
-安全を買いなさい
-キャンパス内でも盗難はざら
-ほんの些細なことで命を落としうる
-Huntington Aveより南はやめなさい
(※そのあたりにこの夏住むんですが…苦)
-最初の1年間は高くとも安全なところに住みなさい
-その間に、信頼できる地区、人、業者を
見極めるといい
-生活のセットアップに関しては、
あらゆることが日本のようにいかない
-「怒るな焦るな諦めるな」
<学問、キャリア>
-Research Designの勉強が将来強力な
バックボーンになりうる
-目新しいこともいいが、(君には)Traditionalな
Research Skillが結局役に立つのではないか
-多少なりともアカデミックな世界でやるなら
どこかのタイミングで博士を取りなさい
-できれば米国で
-研究者養成機関という意味ではChicago,MIT
-実務メインで、アカデミックを副とする
キャリアも今後はどんどん広がるだろう
-米国、特に東部に生活の軸を移すのであれば
マイノリティとして生きることの覚悟が必要
-メリットとデメリットをよく整理しておくように
-とは言え、とりあえず10年くらいは
頑張ってくるといい
ほんと、参考になります。
今日は本当にありがとうございました。
帰りがけに、大学時代に良く通った定食屋に。
在学中はほとんど話さなかった無口なマスターが、
意外にも顔を覚えてくれていました。
おまけに、プリンまでサービスしてくれて、
最後に「帰国の際はまた寄ってよ」と。
優しい人とは知っていたけど、
喋る人じゃないと思っていた分、
何だかうれしい誤算でした。
高校は久しぶりの訪問、というか、きちんと
正門をくぐったのは卒業以来かもしれません。
着いたときには、アルバムのための撮影か何かで
学生がひな壇に並んで、はしゃいでいるところ。
自分も昔、あのひな壇に並んでいたなぁ、
となんだか懐かしく、温かい気持ちにさせられます。
アポなしで行ったので、ちょうど授業前の慌しい時間に
あたったようです。
これから授業に向かう先生と、2-3分の会話。
このぐらいでも、背中を押してもらうには十分なんですね。
「なんならついでに生徒に話してよ」ということで、
初対面の高校生相手に緊張しながら、お話を。
まぁ要は頑張ってください、
みたいな内容を言ったはいいのですが、
今思えば、すっかり名乗り忘れていました。
何年社会人やったんだか。
大学の先生は進学先の卒業生でもあるので、
アメリカや大学での処世術、キャリアパスについて
本当にためになるお話をいただきました。
備忘録的にまとめておきます。
僕以外の人にも役に立つかも知れません。
<衣食住>
-安全を買いなさい
-キャンパス内でも盗難はざら
-ほんの些細なことで命を落としうる
-Huntington Aveより南はやめなさい
(※そのあたりにこの夏住むんですが…苦)
-最初の1年間は高くとも安全なところに住みなさい
-その間に、信頼できる地区、人、業者を
見極めるといい
-生活のセットアップに関しては、
あらゆることが日本のようにいかない
-「怒るな焦るな諦めるな」
<学問、キャリア>
-Research Designの勉強が将来強力な
バックボーンになりうる
-目新しいこともいいが、(君には)Traditionalな
Research Skillが結局役に立つのではないか
-多少なりともアカデミックな世界でやるなら
どこかのタイミングで博士を取りなさい
-できれば米国で
-研究者養成機関という意味ではChicago,MIT
-実務メインで、アカデミックを副とする
キャリアも今後はどんどん広がるだろう
-米国、特に東部に生活の軸を移すのであれば
マイノリティとして生きることの覚悟が必要
-メリットとデメリットをよく整理しておくように
-とは言え、とりあえず10年くらいは
頑張ってくるといい
ほんと、参考になります。
今日は本当にありがとうございました。
帰りがけに、大学時代に良く通った定食屋に。
在学中はほとんど話さなかった無口なマスターが、
意外にも顔を覚えてくれていました。
おまけに、プリンまでサービスしてくれて、
最後に「帰国の際はまた寄ってよ」と。
優しい人とは知っていたけど、
喋る人じゃないと思っていた分、
何だかうれしい誤算でした。
diaper's vicious cycle
どんなに患者さんの不快にならないようにしたとしても、
おむつ交換という行為そのものが持つ影響力というのは
大きいんだな、と改めて感じさせられました。
夕食でお茶を勧めたHさんは「夜中におしっこに行きたくなるから」、
夕食のほとんどを残したMさんは「後で大の方が出てしまいそうで」、
とのことでした。
そんなの気にしないで下さい、とは言ったものの、
気持ちは痛いほど伝わりました。
「迷惑になるから」という表向きのコトバ以上に、
食欲という根源的な欲求を多少削ってでも
尊厳が傷つかない時間を確保していたい、
そんな切実な思いが聞こえてくるようです。
と、ここまで書いてアタマを整理すると
ポイントは、おむつ交換時の対応の良し悪しではなく、
そもそもおむつの中にさせるか/させないか、かも知れません。
いくら心地よく対応しても、下の世話が人の手に渡った、
そのこと自体が問題なのではないでしょうか。
また、一人の患者さんのおむつを換えるだろう
10人前後のスタッフ全員が一年中そんな心地よい対応を
できるかと言えば、それは人の子ですから無理な話です。
要は、おむつの中にさせないこと、また、認識上も
「おむつ=安心して中に出していいもの」ではなく、
「最後の砦」として位置づけ直すことが必要なのでしょう。
そういう意味では患者さんの尿意・便意を事前に察して、
すぐにトイレに誘導していくというパターンの確立が
本当は目指すべきレベルなのでしょう。
実際はそこまで患者さんを一人一人観察している
余裕も無いのが実情ですが、
そもそも余裕の無さの原因の一つが「おむつ交換作業」
だったりするので、鶏が先か卵が先かじゃないですが、
この負のサイクルは逆転させる必要があると感じます。
本当に体調の優れない患者さんを除いて、
みなさんがお茶をガブガブ飲めて、
毎食完食できるようになること、
そんな日が待ち遠しいですね。
とりあえずは兆候を見分ける力を付けたいと思います。
おむつ交換という行為そのものが持つ影響力というのは
大きいんだな、と改めて感じさせられました。
夕食でお茶を勧めたHさんは「夜中におしっこに行きたくなるから」、
夕食のほとんどを残したMさんは「後で大の方が出てしまいそうで」、
とのことでした。
そんなの気にしないで下さい、とは言ったものの、
気持ちは痛いほど伝わりました。
「迷惑になるから」という表向きのコトバ以上に、
食欲という根源的な欲求を多少削ってでも
尊厳が傷つかない時間を確保していたい、
そんな切実な思いが聞こえてくるようです。
と、ここまで書いてアタマを整理すると
ポイントは、おむつ交換時の対応の良し悪しではなく、
そもそもおむつの中にさせるか/させないか、かも知れません。
いくら心地よく対応しても、下の世話が人の手に渡った、
そのこと自体が問題なのではないでしょうか。
また、一人の患者さんのおむつを換えるだろう
10人前後のスタッフ全員が一年中そんな心地よい対応を
できるかと言えば、それは人の子ですから無理な話です。
要は、おむつの中にさせないこと、また、認識上も
「おむつ=安心して中に出していいもの」ではなく、
「最後の砦」として位置づけ直すことが必要なのでしょう。
そういう意味では患者さんの尿意・便意を事前に察して、
すぐにトイレに誘導していくというパターンの確立が
本当は目指すべきレベルなのでしょう。
実際はそこまで患者さんを一人一人観察している
余裕も無いのが実情ですが、
そもそも余裕の無さの原因の一つが「おむつ交換作業」
だったりするので、鶏が先か卵が先かじゃないですが、
この負のサイクルは逆転させる必要があると感じます。
本当に体調の優れない患者さんを除いて、
みなさんがお茶をガブガブ飲めて、
毎食完食できるようになること、
そんな日が待ち遠しいですね。
とりあえずは兆候を見分ける力を付けたいと思います。
2008/05/11
6/24に渡米します
渡米までの予定が概ね固まりました。
-5/31 病院で看護助手
6/1-4 九州で親戚・知人に会う(知人宅で自然農体験!)
6/5-16 ゴビ砂漠!
6/24 ボストンへ渡米!
という感じになります。
よろしくお願いします。
ちなみに5/11現在、まだ大学の入学許可書I-20が届かず
ビザ確保のめどすら立たない状態です。
さすが、アメリカの事務手続き、筋金入りですね。
期待を裏切りません。いや、全然裏切って欲しいんですけど。。
渡ゴビまでに間に合わなかったらゴビの旅行代金水の泡です。。。
さておき、6/24渡米ということで、あと1ヶ月ちょっとです。
この日が、いつか特別な日になりますように。
西麻布に美味しいイタリアンのお店があるのですが、
そこの名前が「トレディチ アプリーレ」、
つまり、4月13日という意味。
なんでも、それはオーナーが若いころに
イタリアに修行に旅立った日だそうです。
若かりし日の胸に秘めた想い、
修行を終えた後の「初心を忘れない」という意志、
そんな物語を感じさせる素敵な名前ですね。
24th June
イタリア語は分かりませんが、英語でもなかなか字面良いですね。
ちなみに早くも卒業日も決まっています。
2010年5月27日(木)。
この日を、心から笑って迎えられますように。
-5/31 病院で看護助手
6/1-4 九州で親戚・知人に会う(知人宅で自然農体験!)
6/5-16 ゴビ砂漠!
6/24 ボストンへ渡米!
という感じになります。
よろしくお願いします。
ちなみに5/11現在、まだ大学の入学許可書I-20が届かず
ビザ確保のめどすら立たない状態です。
さすが、アメリカの事務手続き、筋金入りですね。
期待を裏切りません。いや、全然裏切って欲しいんですけど。。
渡ゴビまでに間に合わなかったらゴビの旅行代金水の泡です。。。
さておき、6/24渡米ということで、あと1ヶ月ちょっとです。
この日が、いつか特別な日になりますように。
西麻布に美味しいイタリアンのお店があるのですが、
そこの名前が「トレディチ アプリーレ」、
つまり、4月13日という意味。
なんでも、それはオーナーが若いころに
イタリアに修行に旅立った日だそうです。
若かりし日の胸に秘めた想い、
修行を終えた後の「初心を忘れない」という意志、
そんな物語を感じさせる素敵な名前ですね。
24th June
イタリア語は分かりませんが、英語でもなかなか字面良いですね。
ちなみに早くも卒業日も決まっています。
2010年5月27日(木)。
この日を、心から笑って迎えられますように。
2008/05/04
Life comes and goes...
整形病棟に配属されて1ヶ月が経ちました。
色々思うことはありますが、一番感心するのは
何だかんだ患者さんはみな良くなって転/退院していく、
ということです。
整形病棟は一般に明るいと言われるようですが、
その真因も人間の持つ回復力を見られるからかも知れません。
ベッド上で絶対安静になって苦しんでいた方も、
車椅子に乗り、歩行器に移り、杖に持ち替え、
最後は「お世話様でした」と帰っていきます。
体は年を取っていても、治る力って
全然残っているんですね。
さて、今日はそんな整形病棟にはほんと珍しく、
患者さんが亡くなられました。
ほんの数日まで自分で食事を取って、
かわいらしく「ありがとう」と言う姿が印象的でしたが、
この数日で急に元気が無くなっていました。
この1ヶ月、治る力ばかり信じていましたが、
やっぱり人間って死ぬんだ、
思っているよりも儚い場合もあるんだ、
というもう一つの現実に引き戻された気分でした。
いつ死んでも悔いの無い人生を、と
心が引き締まる一日でした。
色々思うことはありますが、一番感心するのは
何だかんだ患者さんはみな良くなって転/退院していく、
ということです。
整形病棟は一般に明るいと言われるようですが、
その真因も人間の持つ回復力を見られるからかも知れません。
ベッド上で絶対安静になって苦しんでいた方も、
車椅子に乗り、歩行器に移り、杖に持ち替え、
最後は「お世話様でした」と帰っていきます。
体は年を取っていても、治る力って
全然残っているんですね。
さて、今日はそんな整形病棟にはほんと珍しく、
患者さんが亡くなられました。
ほんの数日まで自分で食事を取って、
かわいらしく「ありがとう」と言う姿が印象的でしたが、
この数日で急に元気が無くなっていました。
この1ヶ月、治る力ばかり信じていましたが、
やっぱり人間って死ぬんだ、
思っているよりも儚い場合もあるんだ、
というもう一つの現実に引き戻された気分でした。
いつ死んでも悔いの無い人生を、と
心が引き締まる一日でした。
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